前世療法 ・・・・・・MIND SCIENCE MainHP 前世療法LinkIcon

前世・・・過去世・・・生まれ変わり   前のページの続き・・・・・・。

 実際の催眠療法(退行催眠療法)の中で前世まで戻して、ある症状を治していく過程を説明しましたが、前世体験ではなく療法として行う場合は、相談者が今再体験している前世の出来事が本当かどうかを一々検証する必要はないのです。ですので歴史上の細かいことや必要と感じない部分は無視して進めていきます。また後で必要になればまたそのときに戻ればいいだけのことです。症状を治すことが目的の場合と、自分の人生というものを見つめなおすために前世を再体験している場合と、研究として退行している場合など、目的が違うと誘導の仕方、進め方、着眼点、見つめ方も変わっていきます。詳しいことはここでは説明する紙面がありませんので省きます。

 このように、前世療法と呼ばれる療法を通して感じることは、人が生まれてから現在までのトラウマやストレスだけが関わって人生の問題を作り出している訳でもないといえるかもしれません。現世の問題のみに焦点を当てた、退行催眠では解決できない問題が、前世退行だといとも簡単に解消されるということです。
この現世で作られた問題はなかなか厄介であるのに過去世から引きずっている問題は一度あの世を経過しているだけに物分りがよくなっているかのようです。
我々は霊界で何を学ぶのでしょうか。どのような癒しを受けて、もう一度学び再出発するかのように生まれ出てくるのでしょうか。いや人は本当に生まれ変わっているのでしょうか、と懐疑せざるをえないのです。
しかしながら、どうしても治らなかった症状が前世療法でいとも簡単に治っていかれた例は数多くあります。私たちは、前世の物語を垣間見ることで教えられることも数多くあるということを忘れてはいけないと思います。
 前世療法でソウルメイトといって、人が生まれてくるときにお互いの約束や役割を担って生まれてくる仲間がいると言われています。多くのソウルメイトの中から、今回の人生におけるグループができあがると言われています。様々な男女の愛憎。これらも目的があり約束事として展開されているのでしょうか。であるならば、どこまでお節介を焼くことが許されるのでしょうか。しかし、お互いに十分役割を終えた後も、自分の力だけでは修正できなくなってしまう場合もあります。早く人生の軌道を修正して次のステージに上がらなければ、魂の向上につながらないのでもがいている。そんな人を手助けしてやることが私のすべきことだと考えています。
人が、何らかのクリアすべき課題や試練を背負って生まれてくるのであれば、もちろんその全てを事前に知るべきではないでしょう。しかし、その課題を乗り越えるチャンスを高めるためにも人は前世の一部でも知るべきではないだろうかとも思っています。それによって過酷な試練であっても、それに立ち向かう勇気が湧いてくるのではないでしょうか? なのに、なぜ過去世の記憶は閉ざされているのでしょうか? 白分の課題に気づかずに失敗することを望んでいる訳ではないはずです。ではなぜでしょう。
 我々人間は何かを認知するためには脳が働いています。そうして、脳の機能に依存しそれを超えることは望めないのです。例えば、私たちが使っている言葉だけでは宇宙の世界を正確に認知することができないように、死後の世界、人生そのものの意義というものが、言葉という手段だけでは不十分で、理解が十分にはできない世界だと思っています。物事を理解する手段としての言葉に限界があると思っています。では、言葉以外に脳を通して受け止め感じとれるものがあるとすれば、それは直感の世界ではないでしょうか。言葉に直すのは難しくても全貌を感じとることができるものです。ただし、残念なことに感じ取ったものが正しいと証明することはできません。
 しかしながら、直感を得ることができる催眠状態(トランス)こそ“死”そして“生”というものを学ぶことが許された唯一の手段なのかもしれないと思っています。
 私たちは、無意識の世界から送られてくるメッセージを、直感で受け止め、不十分でも言葉に直して理解するしか手段がありませんが、それでもありがたいことだと思います。
 人は前世(過去世)というものを信じた場合、人生においては、クリアしなければならない課題を背負っています。人は課題をクリアし、そこから学ぶために性格的個性を持って生まれてくるのでしょう。その性格が、デリケートであり、繊細であり、くよくよしたり、すぐに落ち込むような性格であったとして、それゆえにその性格を乗り越えることも課題のひとつでもあり、または、その性格が課題を乗り越えることに必要な要素だったりもするものです。しかしながら、現実から逃げてしまい、どんどんと苦しみに飲み込まれてしまうこともあるでしょう。一般的にそうなってもどうにかそこから抜け出しながら多くを学び成長していくものですが、中にはそう上手くいかない場合もあります。そういう状況の中でもがいている人を引き上げ、助けることも私の仕事のひとつであると思っています。
 また自分の課題をクリアしながら頑張っている人たちにとっても、もう少し別の角度から手を差し伸べてやればもっと効率よく学んでいける、もっと高い段階へ進める、もっと多くのことを達成できるというような状態のときに、的確に導いてやることも私の仕事のひとつであると思っています。
 私白身も、もっともっと自分を向上させていかなければならないと常に自分を戒めています。人生というものはこれでよいという段階はない。そういう意昧で終わりがない。しかし、何物にも替えがたい、人生の充実感と達成感という生きがいがそこにあります。人はこのために生きているようなもので、それ以外の楽しみや喜びは人生におけるデザートのようなものでしかないでしょう。人生の本題は別にありそれを満たしていかなければ、平和な満たされた人生を送っていたとしても、限りない欲と剌激を求め安住できない心によって、どんどんと苦しみを背負い引きずることになります。    

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井手無動